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最後に責任を取るのは自分

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自分が車の運転をしていたとして、助手席に誰かが座っていたとします。

 

助手席に座っている人があっちへ行けこっちへ行けといろいろアドバイスをしてくれてその通りに従って運転していたところ、交通事故にあってしまいます。

 

助手席に座っている人の言うとおりに運転していれば安心だと思って運転していたのに事故にあってしまったのです。

 

 

助手席に座っていた人のアドバイスに従った結果事故に合ってしまったので助手席に座っている人に車の修理代を請求したとすると応じてもらえるでしょうか?

おそらく助手席に座っていた人は「そんなもの自分で運転していたのだからあなたの責任でなんとかするべきだ」と言ってくるでしょう。

 

助手席に座っていた人はあくまでアドバイスをしていただけで運転していたのは自分ですから運転している自分が責任を取らざるを得ません。

 

一方で、人の目を気にしながら生きている人もこうした車の運転と同じようなことが言えます。

 

何をするにしても人の目を気にしながら他人のアドバイスに従っていても、いざ何か問題が起こったり事故が起こったとしても他人はその責任をとってはくれません。

 

あくまでもそのアドバイスに従った自分自身が責任を取らざるを得ないのです。

 

ですから、アドバイスをする他人は自分で責任を取る必要がありませんので好き放題いろんなアドバイスを言うことができます。

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あくまでも何かあったときに責任をとらなければならないのはそのアドバイスに従った自分自身。

 

つまり、どれだけ人の目を気にして生きたとしても最終的には自分の人生の責任は自分で負わざるを得ません。

 

人の目をどれだけ気にしても誰も自分の人生に対して責任を取ってくれないのですから、ある意味人の目などどうでもいいと割り切ってしまうことも大切です。

 

人の目が気になって仕方がないというのは、まだ自分の人生の責任を自分で背負う覚悟が決まっておらず他人に依存してしまっている状態ともいえます。

 

他人のアドバイスに従っていればどこか良いところに連れてってくれるのではないかという錯覚を起こしてしまっているのです。

 

自分の人生の責任は自分で取るしかありません。

 

自分で運転している車ですから何があってもすべて自己責任といえるのです。どこへ行きたいかどこを走りたいのかを自分で判断するから車のドライブも楽しいといえるのです。

 

まとめ

どれだけ人の目を気にしてアドバイスに従ったとしても誰も自分の人生の責任はとってはくれない

車の助手席に座っている人のアドバイスの通り運転して事故を起こしても自分で責任を取らなければならないのと同じようなもの

人の目を気にして生きたとしても自分で責任を取らなければならないのなら、初めから人の目など気にしていても仕方ないといえる

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