どうせ会話するんやったら盛り上がったほうがいいと思うのは当然や。
もしも会話が盛り上がらんかったら「自分のせいかも」と落ち込む気持ちはよくわかるで。
やけど「会話が盛り上がらないのは自分のせい」ってほんまなんか?
毎回会話が盛り上がらんたびに自分のせいなんて思ってたら会話がイヤになるで。
会話が盛り上がらんかったときに自分のせいと思う必要なんてないんやで。
会話が盛り上がらないのは自分のせいなの?
会話が盛り上がらないのは、自分のせいなんか?
会話は相手あっての事やねんから、自分だけの責任じゃないで。
会話が盛り上がらへん場面なんかいくらでもあるんや。
むしろ盛り上がらへんことの方が多いかもわからんで。
会話が盛り上がらへんたびに、自分のせいやと思ってたら、会話すること自体が辛くなってしまうで。
もちろん、人のせいではなく、自分のせいだと考える事は会話上達のために必要なときもあるんやで。
けれども、会話が盛り上がりへんのは全て自分のせいだと思う考えは極端なんや。
自分だけのせいやなくて会話は相手の状態にも大きく依存するんや。
もしかしたら自分が盛り上がってないと思ってだけで、相手は盛り上がって楽しかったと思ってる可能性もあるんやで。
会話が盛り上がらないのは自分だけのせいじゃない。
会話が盛り上がらへんたびに、自分のせいやと思ってたら辛くなるで。
自己責任はやり過ぎるとつらくなる
自己責任の考え方をやりすぎると辛くなるんや、
1歩間違えたら何でもかんでも自分のせいやと思い込んでしまうからな。
よく自己啓発本なんかで自己責任で考えることが大事であるって書いてあるのは知ってるで。
でも、自己肯定感ができてないのに、すべてを自分の責任と考えてしまうと辛くなってしまうんや。
心の守り方を知らずに会話という異種格闘技戦に臨んだら、ボコボコにされてしまうで。
まずはしっかりした自己肯定感が出来上がってから、自分の責任と考える方がいいと思うで。
しっかりとした自己肯定感が出来上がってないのに、自己責任を考えてしまうと辛くなってしまうで。
盛り上がらなくてもいいじゃないか
会話が盛り上がらなくても別にええやないか。
盛り上がる会話もあれば盛り上がらん会話もあるんやで。
会話が盛り上がりのたびに、自分の声やと自分を責める必要ないんや。
もしかしたら自分の中に会話盛り上がらなければならないなんて思い込みがあるのかも知らへんで
もしくは開いてを退屈させてはならないなんて、思い込みや。
こうした思い込みがあると、すべての会話を盛り上げなあかん。て言う強迫観念に駆られるんやで。
本で会話が盛り上がるへんたびに会話が盛り上がらんかったら自分のせいやと自分を責めてしまうようになるんや。
別に会話が盛り上がらへんかってもああやないか。
それで自分の値打ちが下がるわけでもあらへん。
会話が盛り上がることがあれば盛り上がらないこともある。
それでええやないか。
まとめ
会話が盛り上がらないのは自分のせいとは限らない
全てを自己責任と考えるのは、しっかりとした自己肯定感が育ってから
盛り上がっても盛り上がらなくてもどっちでもいいと思っていい