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目の前のことに集中するコツとは?目の前のことに集中して今を生きる

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目の前のことに集中するコツ

 

目の前のことに集中するコツは、「今日が最後という気持ち」で時間を過ごすことです。

 

「今日が最後という気持ち」で時間を過ごすと、自分にとって重要でないことに意識が向かなくなるからです。

 

つまり死生観を定めて一日を生きるということです。

 

死生観とは自分の命がいつ終わるかわからない、有限ということを意識する人生観です。

 

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目の前のことに集中するために死生観を定める

 

死生観を意識することで、自分の中に眠っている能力が開花し、目の前のことに集中できるようになります。

 

死生観を定めて目の前のことに集中するためには、次の3つを自覚することが大切です。

 

一つ目は、人は必ず死ぬという真実

二つ目は、人生は一度しかないという真実

三つ目は、人はいつ死ぬかわからないという真実

 

 

これらの3つの真実を自覚して目の前のことに集中することで、感性が研ぎ澄まされます。

 

死生観を定めることで、眠っていた能力も目覚めます。

 

死生観は、自分の命が有限だと深く自覚する人生観であり、死と向き合うことで生まれる覚悟です。

 

自分の死と真剣に向き合った上で、定まった覚悟を持つことが大事なのです。

 

死生観が定まり目の前のことに集中できていた人たち

 

 

松下幸之助さんは8人兄弟の末っ子として生まれました。

 

病気で兄弟5人、お父さんも亡くしています。

 

身近な家族の死を6回も経験しているのです。

 

松下幸之助さんも肺尖カタルを患っていました。

 

当時、結核は不治の病だったのです。

 

 

稲盛和夫さんも13歳で結核を患っていました

 

その時に読んだ本で心の力を知って立ち直られました

 

 

アシックスの創業者オニツカ喜八郎さん、ヤマト運輸の小倉昌男さんも結核を患っています

 

この方たちは大病にかかり自らの命と向き合わざるを得ない体験をされました

 

 

ワコールの塚本紘一さんはインパール作戦に参加されています

 

参加した日本兵のほとんどがなくなるという史上最悪の作戦と言われています

 

ですから帰ってきた時点で死生観が定まっていたのでしょう

 

 

また孫正義さんは慢性肝炎で余命5年と宣告され何のために仕事をしているか毎日問いかけ続けました

 

楽天の三木谷さんは阪神大震災で敬愛するおじさんおばさんを亡くしそれで起業を決意されています

 

こうして大病大戦争の身近な人の死に直面すること死生観が定まってきているのです

 

 

起業家の田坂広志さんは32歳でがんで長くないと余命宣告を受け暫くは地獄の日々を過ごされました


恐怖と絶望感で何もできなくなった時、ある禅師と接する機会を得ました

 

そしてその住職から人間死ぬまで命を張るのだお前は今生きている


そう一括され田坂さんは目が覚めたそうです

 

死が迫っているかもしれないがいま自分は生きている

 

なのにいつ死ぬんだろうと未来を心配し、どうしてこうなったのかと過去を悔やんでいる

 

そしてよし明日死のうが明後日死のうが天の定めなら仕方ないだけど今をどう生きるかが自分を決められる

 

悔いのない1日を生きようと覚悟を決められたのです

 

死生観が定まった瞬間です

 

毎日今日が最後の日かもしれないという思いで1日をスタートする

 

それを毎日繰り返し気が付くと30年以上の歳月が過ぎていました

 

今日が最後の1日かもしれないと思うほどの能力開発法はないとおっしゃっています

 

目の前のことに集中するための3つの真実

 

これまでの話を聞いて大病でも経験しないと死生観を定まらないと思うかもしれませんが次の三つの真実を深く自覚すれば死生観を定めることができます

 

一つ目は、人は必ず死ぬという真実

二つ目は、人生は一度しかないという真実

三つ目は、人はいつ死ぬかわからないという真実

 

 

こうした真実をどれだけリアルに自覚するかということが重要です。

 

死という逃れられない真実と向き合うことで、始めて目の前のことに集中できるようになるのです。

 

目の前のことに集中するための名言

 

目の前のことに集中するために、死生観について考えさせられる言葉をいくつかご紹介します

 

一つ目はガンジーの言葉

 

インドをイギリス植民地支配から独立に導いたガンジーの名言です。

明日死ぬと思って生きなさい

 

そしてその続きが永遠に生きると思って学びなさい

 

まさにし成果を持って生きろということです

 

 

二つ目はメメントモリ

 

死を忘れるなというラテン語です

 

音楽や芸術などによく使われるテーマですがこれだけ使われるのは死を忘れがちだからだと思います

 

三つ目は哲学者ハイデガーの言葉

 

死を意識することではじめて人生が輝く

死を意識するのは生を輝かせること

 

 

死生観を定めることで得られるメリット

 

 

 

死生観を定めることで目の前のことに集中でき、感性が研ぎ澄まされます

 

いつも見ている景色が最後という感覚で見ると全然違って見えます

 

人と会うのも最後と思うと全然違います

 

一期一会とはまさにこういうことを言っているのです

 

あなたと出会っているこの瞬間は二度と巡ってこない

 

だから大切なあなたをおもてなしする

 

いつもあっている相手に対しても一期一会の心境に近づけます

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今共有している時間は二度と巡って来ないのですから

 

死生観についてヴィクトールフランクル博士の話をします

 

ナチスのアウシュヴィッツ収容所に収容され囚人として生活されわずかな食事で朝から晩まで働き、いつガス室に送られるかわからない。

死と隣り合わせの毎日。

そんな中、ある日「仲間の一人が外に出てこい」と急き立てたのです。

外に出ると、そこには夕日で赤くなる西の空があったのです。

そして「世界はどうしてこんなに美しいんだ」と感動して夕日を見るのです。

「今日が最後かもしれない」と思う人にとって、その夕日は、数分間、言葉を失うくらいの感動だったのです。

 

 

死というものを意識することで、こんなにも感性が研ぎ澄まされるのです。

 

次に、作家で精神科医の加賀乙彦さんの研究を紹介します。

 

死刑囚と無期囚を比較した研究結果です。

死刑囚は死刑にされることは決まっています。

無期囚は、死刑にされることはないが、一生監禁されることが決まっています。

両者を観察すると、死刑囚の人たちは活発で動きが多く、心の躍動感が大きい。

フランクルの本の中でも、過酷な収容所の中でジョークを言って励まし合っています。

それに対して、無期囚は平坦な監事で、ダラダラ過ごしている人が多い。

死刑の執行通知は、当日の朝です。

死刑囚は、毎日、明日死ぬかもしれないと思って生きているのです。

明日死ぬかもと思って生きている。

死刑囚ほどそれを感じている人はいない。

 

 

私たちは、無期囚の方に似ている、と述べられています。

 

死が「明日かもしれない」という意味では、死刑囚と変わらない。

 

ただそれを自覚している人はほとんどいません。

 

「もっともっと長く生きるだろう」と思いながら生きています。

 

結果的に躍動感のない人生を生きている。

 

そして感性がどんどん鈍ってくるのです。

 

感性を研ぎ澄ますと、今目の前のことに集中できるようになります。

 

時間の密度が濃くなります。

 

本当に大切なことに目が向き、今までの自分がやらなかったことにも挑戦できます。

 

腹も据わります。

 

大きな問題が起きても、必要以上にたじろいだり動揺したりしなくなります。

 

今を生きる覚悟が能力を開発し、感性を研ぎ澄まし、腹を据わらせるようになるのです。

 

 

目の前のことに集中できなくなった日本人

 

今日本ではリアルの死に合わなくなっています。

 

20世紀前半ぐらいは、家族で死を看取りましたし、別れの言葉を交わす機会も多かった。

 

死を境に呼吸をしなくなった。

 

答えてくれなくなった。

 

そんな経験をすることで、死を身近に意識していました。

 

死と言うことの重み、つまり生きることの重みを意識している人が多かったのです。

 

その後、核家族が進み死の場面に立ち会うことが少なくなりました。

 

成人するまで死に立ち会ったことがない人も多い。

 

知っているのはゲーム、アニメの中の偽物の死。

 

命の重みがわからなくなってきています。

 

そして死生観がもてなくなってきているのです。

 

ブロニー・ウェアの本に以下のような記述があります。

 

緩和ケアで、多くの患者の最後を看取られた方です。

 

余命宣告を受けた人がもっとお金がほしかった、と後悔する人はいないと言います。

 

代表的な5つの後悔は

参考

1.自分に正直な人生を生きれば良かった。周りの目を気にせず、自分の気持ちに素直に、正直に生きたかった。

2.仕事を優先するあまり、家族や友人を大切にできなかった。仕事のためにほんとうに大切なことを犠牲にしてしまった。

3.思い切って自分の気持ちを伝えれば良かった。

あの人に「ありがとう」と言っておけば良かった。

「ごめんね」と謝りたかった。

大切なあの人にあのことを伝えておけばよかった。

4.友人と連絡を取り続けておけばよかった。

いつの間にか孤独な人生になってしまった。

知らず知らずのうちに孤立してしまった。

5.幸せを諦めなければよかった。

愚痴を言ったり否定的なことをいったりしたが、それは幸せを諦めていたから。

幸せを感じていい、と自分を許可し、喜びを見いだせば良かった。

 

 

これらの後悔は、いずれもあり方、生き方の後悔です。

 

人は人生の最後に気づきます。

 

何が自分の人生に価値をもたらしてくれるのかを。

 

何を所有したかではなく、どう生きたか。

 

何を手に入れるか、何を獲得するかに意識がいきがちですが、人生で集めたものは何一つもっていけません。

 

お金、名誉、財産、すべて自分の手から離れます。

 

しかし、「自分がどう生きたか」は、出会った人の心に刻まれます。

 

その人に影響を与え、その人の心の中で生きていくのです。

 

人生のプロセスに集中する

 

京都大学でターミナルケアや死生観を教えるカール・ベッカーは、末期がん患者に「何が一番幸せだったか?」聞き取り調査をしています。

 

その答えは、達成したことではなくプロセスでした。

 

上手くいかなかったけれど乗り越えたプロセス

パートナーと困難を乗り越えたプロセス

事業を起こして問題を乗り越えたプロセス

 

 

そもそも人生とはプロセスのこと。

 

生まれてから死ぬまでのプロセスのことです。

 

人生の結果はもう決まっている。

 

最終結果は死ぬこと。

 

ならばプロセスを充実させることを考える。

 

私たちは結果を目指してプロセスを犠牲にしていることが多い。

 

だから最後の最後に後悔することが多い

 

田坂広志さんは人間の命を砂時計に例えています。

 

休むことなく刻々と砂が落ち続けている。

 

落ちきったときに命が終わる。

 

だけどこの砂時計は見えません。

 

いつ落ちきるかわからないのです。

 

今も一秒に一粒、落ち続けています。

 

私たちの人生という映画、ラストシーンは決まっています。

 

それは「死」です。

 

そのときに後悔するのか、それとも潔い死を迎えるのか。

 

それを決めるのはひとえに私たちの生き方です。

 

それは「どんな死生観を定めているか」によって決まります。

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