この記事では悔いのないように生きるためにできることについて書いています。
悔いのないように生きるためには、何ができるでしょうか?
その方法の一つは、自分の人生が有限だと気づくことです。
自分の人生がいつ終わるかわからないと気づくと、悔いのないよう自分の時間を大切にするようになります。
自分の人生が有限だとわかれば、悔いのないよう本当に大切なことに時間を使うようになります。
この記事では悔いのないように生きるために、今すぐできることについて書いています。
この記事を読めば悔いのないように生きるために、大切なことに気づけるのでぜひ最後まで読んでみてください。
悔いのないように生きるためにできること
昭和54年に、富山県の砺波市で癌で亡くなった井村和清さんという医師のお話です。
享年31歳でした。
右膝に腫瘍が見つかり、転移を防ぐために右足を切断しました。
ですが手術の甲斐もなく癌は両肺に転移してしまったのです。
彼は医師だったので、自分の病状と余命をよくわかっていました。
彼は悔いを残さないために、生きているうちに遺書を書きました。
遺書のタイトルは「ありがとう、みなさん」です。
彼は遺書の中で二人の子供たちに、次のようなメッセージを残しました。
「思いやりのある子に育ってほしい。
思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、喜んでいればいっしょに喜べる人のことだ。
思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。
まわりの人を幸せにする子は、まわりの人によってもっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。
だから思いやりのある子に育ってほしい。
それが私の祈りだ。
私はあと、いくらもそばにいてあげることができない。
だから、お前たちが倒れても手を貸してあげることができない。
お前たちは倒れても自分の力で立ち上がるんだ。
お前たちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。
父より」
また遺書にはこんなことも書かれています。
「肺への転移を知ったとき、私の背中は一瞬凍りました。
しかし、レントゲン室を出るとき私は決心しました。
歩けるところまで歩こう。
その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な光景を見ていました。
世の中がとても明るいのです。
スーパーへ来る買い物客が輝いて見える。
走りまわる子どもたちが輝いて見える。
犬が、雑草が、電柱が輝いて見えるのです。
アパートへ戻って見た妻も、手を合わせたいほど尊く見えました」
「郷里へ戻ると、父が毎朝、近くの神社へ私のために参拝してくれていることを知りました。
友人の一人は、山深いところにある泉の水を汲み、長い道程を担いできてくれました。
一斗(約18リットル)以上もありそうな量の水を担いできてくれました。
病気に効くといわれている霊泉の水です。
また、私が咳き込み、苦しそうにしていると、何もわからぬ娘までが、私の背中をさすりに来てくれるのです。
みんなが私の荷物を担ぎ上げてくれている。
ありがたいことだと感謝せずにはいられません。
皆さん、どうもありがとう」
そして彼はあとがきを書き始めました。
「原稿をまだ半分も書き終わってないのに、私はあとがきを描き始めています。
それには訳があります。
もう有余はできない。
いつ机に向かうことができなくなるかもしれない。
頭と尾があれば、胴は少々短くても魚は魚であり、尾がなければ、それは魚ではない。
だからとにかくあとがきという尾を書くことにしたんです。
頼みがあります。
もし、私が死にましたら、残る二人の子どもたちをどうぞよろしくお願いいたします。
私が自分の命の限界を知ったとき、私にはまだ飛鳥一人しか子どもがいませんでした。
そのとき、私はなんとしてももう一人子どもがほしいと思ったのです。
それは希望というよりは、むしろ祈りのようなものでした。
祈りは通じ、二人目の子どもが妻の胎内に宿ったのです。
妻は、「これは、あなたの執念の子ね」と言って笑いましたが、私はどうしても妻と飛鳥を母ひとり子ひとりにしたくなかったのです。
三人が力を合わせれば、たとえ私がいなくても生き抜いていける。
妻がもし苦難に出会うことがあっても、子どもたち二人が心を合わせれば細い体の妻をきっと助けてくれる。
そう信じています」
「やがてこの子たちが大きくなり、人の心がわかる年頃になったら、私が生まれ育った北陸を訪ね、その山河を見せてやってください。
自分たちの体に流れている父の血の故郷を感じさせてやって下さい。
父がいなくても誇りをもって生きるんだ。
そしてもう一つお願いがあります。
それは、私の死で誰よりも悲しむ父と母をどうか慰めてやって下さい。
私にはもったいない、仏様のような父と母でした。
父は自分のすべてを捨てて私を救おうとした。
母は実母でもないのに、血の通う肉親以上の深い愛で私を抱きしめてくれた。
今はこの優しい父と母に、なんの親孝行もできない。
それどころか、親にわが子の葬式をあげさせる。
悲しくてたまりません。
いまから老いていく父と母をどうか慰めてあげてください。
人の魂が永劫であることを信じたい。
人の魂が永劫であるなら、いつの日にか再びこの父と母の腕に抱かれる日だってくる。
人に生まれ変わりがあり、私にその機会が与えられるなら、再び三十歳の短い命であってもいいからもう一度この父と母のもとに生まれてきたい」
そして次のように、あとがきを結ばれています。
「ありがとう、みなさん。
世の中で、死ぬ前にこれだけ言いたいことを言い、それを聞いてもらえる人はめったにいません。
その点、私は幸せです。
ありがとう、みなさん、ほんとうにありがとう」
引用:「いま、感性は力」
井村さんは自分の人生に期限があると知ってから、本当に大切なことに残された時間を使いました。
井村さんは人生の残りの時間を悔いなく生きようとし、感性が研ぎ澄まされ世の中が輝いて見えたのでしょう。
人生の時間が有限なのは、僕たちも同じです。
けれども僕たちはついつい自分の時間が無限にあるように錯覚してしまいます。
残された時間がわずかしかないとしたら、本当に大切なことに自分の時間を使えるようになります。
自分の人生がいつ終わるかわからないと自覚して、悔いのないように生きることが始まります。
悔いのないように生きるために勇気をもって伝えたいことを伝える
悔いのないように生きるためには、勇気をもって自分の伝えたいことを言葉にします。
なぜなら勇気がなければ自分の考えや信念を相手に伝えることができません。
伝えたいことがあったとしても、言葉にしなければ相手に伝わりません。
伝えたいことを伝えるには勇気が必要です。
伝えたいことを伝えるのが苦手な人は、自分の中にある勇気を忘れています。
日本人は自分の考えを言葉にしなくても、相手はわかってくれると思い込んでる人が多いです。
ですが自分が伝えたいことは、言葉にしなければ決して相手には伝わりません。
自分の考えや信念を表明する勇気がないのは、悔いのないように生きるために少し考えなおしてみる必要があるのです。
簡単なことでいいので少しずつ自分の考えを表明して、眠っている勇気を育てていく必要があります。
少しでも自分の考えを言葉にして受け入れられた経験を持つとそれがそのまま成功体験になるのです。
悔いのないように生きるために、伝えたいことは伝えるようにしましょう。
まとめ
自分の人生が有限と知ることで悔いのないように生きることができる
残された時間がわずかだとしたら、本当に大切なことに時間を使えるようになる
勇気がなければ自分が伝えたいことを言葉にできない