この記事では自分が見下されているという考えについて書いています。
自分が人から見下されてるって思うのはものすごく辛い。
自分は見下されてるんじゃないかって思い始めると何をやってても見下されてるように思ってしまう。
果たして自分が見下されてるって言う考えは事実なんだろうかそれとも単なる思い込みなんだろうか。
自分が見下されているという考えは思い込みなのか、それとも事実なのかについて考えてみましょう。
僕も自分が見下されているって言う考えにものすごく悩まされました。
この記事では自分が見下されていると悩んでしまっている人のために書いています。
自分が見下されてると悩んでしまっている人の気持ちが少しでも楽になればいいと思っているのでぜひ最後まで読んでみてください。
見下されていると判断できる決定的な根拠はあるのか?
自分が見下されているかどうか判断するために自らに次のように問い掛けてみましょう。
「 自分が見下されていると判断できる決定的な根拠はあるのか?」と。
どうでしょう?決定的な根拠はありますか?
僕はこの質問にほとんど根拠がないと答えざるをえませんでした。
根拠がないと言う事は100%言い切ることができないと言う事ですね。
つまり自分が見下されているのは事実だと言い切れないってこと。
事実ではないことに延々と悩んでしまってるんです。
僕はひどい時なんて同僚が自分より仕事の成果が上がっているからといって、自分は見下されていると思い込んでしまってました。
全く根拠がないのに勝手に自分で見下されていると思い込んでしまったんですね。
まずは見下されているって言うのが事実か思い込みかを判断するために、根拠があるかどうかを探ってみればいいです。
見下されてる決定的な根拠もないのに、悩んでしまってるのが大半じゃないかと思います。
根拠がないのに見下されてると考えるのは思い込みの可能性が高い
こうして考えてみると根拠がないのに見下されていると考えるのは事実ではなく、思い込みの可能性が高いです。
根拠がないと言う事は単なる自分の予測でしかないから。
いくら考えたところで自分が見下されてるかどうかはわからないんです。
これって確固たる証拠もないのに相手を悪者扱いしてるようなもんなんですね。
自分の 頭の中で相手を悪者にしてしまっている。
勝手に悪者にされた相手もたまったもんじゃないすね。
自分が見下されてるかどうかの事実を判断するためには大切な事は根拠を持つこと。
確固たる根拠もないのに見下されてると思うのは単なる思い込みってことですね。
見下されているかどうかを考えるのはコスパが悪い
ここまで自分が見下されてるかどうかについて書いてきました。
自分が見下されている確固たる根拠がなければ思い込みの可能性が高いってことですね。
そしてもう一つ大切なことを考えてみたいと思います。
自分が見下されてるかどうかを考えるって事はものすごくもったいない時間の使い方だと思うんです。
それっていくら考えたところで何も進展しないんです。
自分の頭の中でいくら考えても明確な答えは見つからないんです。
自分が見下されてるかどうかの答えは相手にしかわからないんです。
そんなことを考えるぐらいだったらもっと他のことを考えることに時間を使ったほうがいい。
自分が見下されていると言う考えは事実ではなく思い込みの可能性の方が高いから
まとめ
自分が見下されていると思ったら、それを裏付ける決定的な根拠があるかを考える
自分が見下されている決定的な根拠がなければ、思い込みの可能性が高い
自分が見下されているかどうかを考える時間がもったいない