仕事が思うようにできなかったらついつい自分を責めたくなるもんや。
仕事ができることが世の中のステータスみたいになってるからな。
だけど自分は仕事ができないといくら落ち込んでも仕事はできるようにならへんねや。
いくら自分は仕事ができないと思っても、自分を責めたら絶対にあかんで。
もし自分は仕事ができないと思って自分を責めたくなってるんやったらちょっと付き合ってみてや。
いくら落ち込んだところで仕事ができるようにならへんねや
なんぼ落ち込んだところで仕事ができるようにならへんで。
よく考えてみてや。
夜も眠れへん位に落ち込んでみて、仕事ができるようになるんやったらなんぼでも落ち込んだらいい。
だけどいくら落ち込んできたところで仕事ができるようにならへんねん。
むしろ自分に自信がなくなって逆効果なんや。
おどおどしながら仕事をしたら、余計に仕事ができない自分になっていくんやで。
「そんなこと言われても仕事で失敗したら落ち込んでしまうんや」って言いたい気持ちはよくわかるんやで。
けどな 多少は落ち込んでもいいけどすぐに立ち直ることが大事なんや。
そうじゃないと落ち込んだままの状態でいい仕事はでけへんねんで。
物理学者のアインシュタインもこない言うてるで。
どうして自分を責めるんですか?他人が必要なときにちゃんと責めてくれるんだからいいじゃないですか?
なんぼ自分は仕事ができないと落ち込んだところで仕事ができるようにならへんねや。
自分は仕事ができないなんて落ち込むことに意味はないんやで。
仕事ができない自分は人間としてだめだと思い込んでへんか?
ほんで仕事ができない自分はだめな人間だと思い込んでへんか?
仕事ができるっていう価値と、人間としての価値は切り離して考えやんとアカンで。
仕事ができなかったとしても、決して人間としてダメだと言うことにはならへんで。
仕事ができない自分は人間としてもダメやと思うから落ち込んでしまうんや。
仕事ができなかろうが収入が低かろうが 出世に乗り遅れてようが、 自分はめっちゃすごいんやで。
それだけは決して忘れたらあかんねや。
もちろん仕事ができないよりもできたほうがいいって言うのはわかるんやで。
仕事ができない自分のままでいいって言うてるわけやない。
でも仕事ができない自分はダメな人間やなんて思ったらあかんねや。
仮に仕事ができんかったとしても自分の存在価値まで否定したら絶対あかんで。
仕事が できてもできなくても自分の価値は変わらへんで
仕事ができてもできなくても自分の存在価値は何にも変われへんねや。
自分の存在価値は仕事なんかの条件に関係なく無条件に価値があるもんやからや。
仕事ができることに自分の価値をおいてると、仕事がなくなったときに自分の存在価値まで失ってしまうんや。
わけわからん上司が「仕事ができへんお前に価値は無い」って言ってくるかもしらへん。
そんなアホみたいな上司の言葉なんて聞き流しといたらいい。
アホな上司の言葉を真に受けて自分は仕事ができないと落ち込んでたらアカンのや。
幕末の偉人、勝海舟もこない言うてるで。
自分の価値は自分で決めることさ。つらくても貧乏でも自分を殺すことだけはしちゃいけねえよ。
仮に今仕事ができなかったとしても自分の存在価値だけは絶対に揺るがしたらアカンねんで。
まとめ
これだけ落ち込んだところで仕事ができるようにはならない
できない自分はダメと言う思い込みを捨てる
仕事ができてもできなくても自分の存在価値は何も変わらない